日産自動車は12月12日、横浜市の本社ビルを970億円で売却したと発表した。買い手は、中国寧波市に本社がある台湾系の大手自動車部品メーカー、敏実集団(ミンスグループ)が出資する特別目的会社だ。日産は売却後も20年間のリースバック契約を結び、引き続きあのランドマーク的なビルを本社として使い続けることになる。
このニュースを聞いた時、多くの人が驚いたと思う。日産の本社ビルは、2009年に銀座から横浜・みなとみらいに移転して以来、横浜のシンボル的存在だった。地下2階、地上22階の近代的な建物で、横浜港の景色を一望できる場所にある。日産がここを「売らざるを得ない」状況に追い込まれた背景には、深刻な経営危機がある。中国や米国での販売不振、巨額赤字、信用格付けの低下、そして将来のキャッシュフローを確保するための苦肉の策だ。
一方、買い手となった敏実集団は、なぜこのビルに目を付けたのか? そして、この企業とその創業者、秦栄華(チン・ジョンファ)氏とは一体どんな人物なのか?

敏実集団の創業者秦栄華氏は1957年、台湾・宜蘭県の山間部で生まれた。宜蘭は美しい田園地帯だが、秦氏の生家は貧しい家庭だった。幼い頃から家計を助けるため、掃除夫をしたり、露店をしたり、タクシー運転手をしたりと、さまざまな底辺の仕事を経験したという。若い頃の秦氏は、いつも「いつか大金持ちになる」と心に誓っていたと言われる。そんな彼が人生の転機を迎えたのは、1992年、35歳の時だ。親戚や友人から約100万ドル(当時のレートで約1億円以上)を借り、中国大陸の浙江省寧波市に単身渡った。
台湾人が中国大陸で創業
当時の中国は、改革開放政策が本格化し、自動車産業が急速に成長し始めた時代だ。秦氏は、岳父(妻の父)が自動車部品ビジネスをしていた影響もあって、寧波の小港工業区に小さな工場を借りた。面積わずか800平方メートル、従業員は20数名の地元中国人。設備も簡素で、秦氏自身が工場に住み込み、社員と一緒に食事を取り、寝泊まりする「家族式」の経営を始めた。社員の生活を気遣い、夫婦で働けるように奨励したり、子どもの世話を手伝ったり、時には夫婦喧嘩の仲裁までしたという。この「家族のような企業文化」が、初期の敏実の基盤となった。会社名「敏実」の「敏」は敏捷、「実」は実直を意味し、秦氏の信念を表している。
創業当初は苦難の連続だった。しかし、転機は早く訪れる。1990年代中盤、ドイツの宝馬(BMW)から厳しい注文が来た。要求は高く、納期厳守、品質完璧、そしてグローバル配送だ。秦氏は「顧客のどんな難しい要求も、絶対に達成する」という信念で臨んだ。生産を急ぎ、自ら物流を手配し、宝馬の世界中の工場に部品を届けた。この「使命必達」の姿勢が宝馬の信頼を勝ち取り、続いてベンツ、アウディ、ロールスロイスなどの高級ブランドが顧客に加わった。日産、トヨタ、ホンダ、フォード、GMなど、グローバル大手も次々と入り、敏実は急成長を遂げる。

1997年、秦氏は複数の工場を統合し、正式に敏実集団を設立した。中国国内に天津、広州、重慶、嘉興など次々と工場を建てた。2005年、香港証券取引所に上場。これで資本を強化し、グローバル化を加速する。2007年から海外買収を始め、アメリカ、日本、タイ、メキシコ、ヨーロッパに拠点を広げた。現在、敏実は世界14カ国に77の工場とオフィスを持ち、従業員2万2000人以上だ。主な製品は自動車の外装部品(プラスチック、金属飾り条、軽量化構造件)、そして近年急成長している新能源車用のアルミ電池ケースだ。世界最大のアルミ電池ケースサプライヤーであり、表面処理の総合力でもトップクラスだ。顧客は70以上のブランドで、フォルクスワーゲン、BMW、ベンツ、トヨタ、ホンダ、テスラ、BYDなど、ほぼ全ての主要メーカーをカバーしている。
敏実の強みは「GLOCAL」(グローバル+ローカル)戦略だ。世界共通の技術基準を保ちつつ、現地ニーズに即した生産・サービスを提供する。新能源車時代を見据え、軽量化やインテリジェント外装に投資を集中している。2024年の売上は200億元(約4400億円)を超え、利益も堅調だ。秦氏は約39%の株式を保有し、個人資産は数百億元規模と言われている。

日産自動車の取引先
秦栄華氏の物語は、まさに「白手起家」の典型だ。台湾の貧しい青年が、大陸の改革開放の波に乗り、苦労を重ねてグローバル企業を築いた。社員を家族のように大切にし、社会貢献も積極的だ。教育投資や健康支援施設の設立、さまざまな栄誉を受けている。一方で、2014年頃に香港証監会から関連取引で調査を受け、罰金を支払った過去もあるが、それを乗り越え、2017年に再び主席に復帰した。娘の秦千雅氏も執行取締役として活躍し、家族経営の色を強めている。
さて、この敏実集団が日産本社ビルを買った理由は何だろうか。表向きは、KKR(米大手私募ファンド)の日本子会社が運用するSPCが主導し、敏実は主要出資者だ。横浜の不動産は、みなとみらい地区の好立地で、賃料上昇率が高く、投資価値が高い。敏実はすでに日本に営業・研究拠点を持ち、日産とは長年の取引先だ。ビルを買うことで、日本市場でのプレゼンスを高め、将来的な事業拡大の足がかりにする狙いだろう。秦氏の視点から見れば、中国大陸で成功した台商として、日本の高級不動産を取得するのは、象徴的な意味もある。
ミンスは外装・車体構造部品を供給し、足元で4・5%にとどまる日本市場の売上高比率を2030年までに10%に引き上げる方針。日系メーカーの取引比率は日産が最も高く、海外勢を含めると1割弱の3位。25年は生産縮小で4位に後退する見込み。24年の日産との取引額は約500億円だった。
日産にとっては、970億円の資金が入り、739億円の特別利益を計上できる。債務返済や新車開発に充てられるはずだ。一方、日本社会では「日産が本社を売るなんて」と感慨深い声が多く聞かれる。かつての自動車帝国が、部品サプライヤーに本社ビルを譲る形になった。これは、日中台の自動車産業の力関係の変化を象徴しているのかもしれない。中国企業や台資企業がグローバルに活躍する時代だ。日本企業は競争が厳しくなっている。
秦栄華氏の物語を振り返ると、成功の鍵は「時代を捉える目」と「人への思いやり」、そして「不屈の精神」だと思う。大陸の機会を逃さず、社員を家族のように育て、顧客の信頼を積み重ねた。敏実集団は今、新エネルギー車分野でさらに飛躍しようとしている。日本企業にとっても、こうした外資の動きは刺激になるはずだ。
(中国経済新聞)
