資生堂が中国で人気を失った理由

2024/10/14 14:30

中国人の女性同士が会うと必ず、「化粧品はヨーロッパのものか、それともアジアのものか」と尋ねる。

答えはもちろん人によって違う。ただし、もし日本に行って高級な化粧品を買うなら、間違いなく「資生堂」を選ぶはずだ。数多い化粧品ブランドの中でも知名度や評判が昔からナンバーワンだからだ。

「資生堂」は名前が漢字であり、それも少し中国的なイメージがある。調べてみると、1872年に会社を設立した際に、創業者である福原有信が中国の古典「易経」の「至哉坤元、万物資生」(いたれるかなこんげん、ばんぶつとりてしょうず)という一文を見て、「天下の万物を資生し、すばらしい生活や文化を創造」すべく「資生堂」と名付けたことがわかった。

資生堂はもともと、銀座の大通りにある薬局だった。1880年には養毛剤を発売した。そのころから脱毛に悩む人がいたようである。1888年には「練り歯磨き」を発売し、1897年になって化粧品業界へ進出して化粧水の販売を開始した。

1921年には、社業の基本理念となる品質本位主義、共存共栄主義、小売主義、堅実主義、徳義尊重主義という「五大主義」を確立した。

150年以上の歴史を誇る資生堂は、戦乱のさなかでも生産や販売を続けていた。現在の商品の販売割合は国内が40%、海外が60%であり、化粧品のほかに薬や健康食品も扱っている。

資生堂は中国との関係も久しく、1940年には香水を輸出している。改革開放の初期だった1983年には北京でシャンプーやリンスを生産する工場を建て、2008年には上海に「資生堂中国研修センター」を開設した。中国市場の開拓に力をこめ、中国人の肌に合った一連の化粧品やケア用品を開発した。2015年からはTmallなど通販サイトでもショップを設けて電子商取引に参入した。中国での売上高は全販売量の25.5%を占めており、最大の海外市場となっていた。

しかし3年に及んだコロナ禍で、日々マスクを着用し在宅勤務するという状態が長期間続き、資生堂のみならずほぼ全世界で化粧品が売れなくなってしまった。資生堂は2022年、中国で39億円の営業赤字を計上している。

しかしこれは資生堂にとって、単なる序章であった。

2023年、日本政府が福島第一原発の放射性物質を含む水(日本では「処理水」という)を海に放出すると決定し、これに中国政府が抗議した上、中国のネットで強い反発の声が上がった。この年、資生堂は中国で化粧品が売れなくなったことで、全社の売上高が340億円(約16.7億元)減、利益も200億円(約9.8億元)のマイナスとなってしまった。

さらに、外国人観光客の主力であった中国人が日本を訪れなくなり、デパートや空港の免税店でも資生堂の化粧品の販売割合が下がって、単価も2019年より落ちている。

さらに資生堂は中国で、国内品の普及という事態に見舞われている。中国の化粧品会社は経験年数を重ねて世界の生産技術や工程を身に着けた上、コストも抑えていることから、安くて良い「国産品」が続々と登場した。こうした質のある品が出たことで、資生堂は販売シェアを失った。

資生堂が今年8月8日に発表2024年度の中間決算によると、純利益は2023年同期より99.9%減ってわずか1500万円であった。中国の店舗での売上高は10%減って49億円、特に化粧品は20%もダウンしている。

資生堂の広藤綾子チーフファイナンシャルオフィサー(CFO)は決算報告会で、「中国の激しい価格競争に巻き込まれており、中国の市場や消費者に偏っていたこれまでの取り組みを見直す必要がある」と述べている。

資生堂は、1500人規模の削減、中国での赤字店舗の閉鎖といった重大な構造改革を実行し、ブランドを集中させてむやみな拡張はしないと発表している。

資生堂にとって、販売量の4分の1を占める中国市場での失速や中国人観光客の購買力低下への対策は非常に厄介なもので、すぐには有効な手を打てない問題である。

(中国経済新聞)