舟山群島の東の端、蓮花洋の波間に浮かぶ島が、朝霧の中からゆっくりと姿を現した。船の甲板に立っていると、潮風が頬を撫で、遠くに低い山並みと白い寺の屋根が霞んで見える。中国四大仏教名山の中で唯一の海上聖地、普陀山である。「海天仏国」「南海聖境」と呼ばれるこの島に、私は一泊二日の短い旅を決めていた。
唐の咸通四年(863年)、日本の僧・慧鍔が五台山から観音像を持ち帰ろうとした際、この海域で暴風に阻まれた。観音が東へ渡るのを拒んだと信じた慧鍔は、島に「不肯去観音院」を建てた。これが普陀山仏教の起源だと伝えられる。
それから千百年余り、観音菩薩の応化の地として、多くの巡礼者が海を渡ってきた。船が岸壁に着くと、すでに香の煙が漂い、参拝者の列ができ始めていた。地元の人々は朝早くから動き、島の狭い道を僧侶や香客が静かに行き交う。

まず向かったのは南海観音である。海岸に面して立つ高さ33メートルの大銅像は、朝日を受けて金色に輝いていた。蓮華座に立ち、左手に法輪を持ち、右手は施無畏印を結ぶ。海を見下ろすその姿は、波を分けて衆生を救う観音そのものに見えた。像の前で手を合わせると、波の音と鳥の声が混じり、不思議に心が静まった。近くの紫竹林は、名前の通り紫の竹が茂り、潮音洞の轟音が聞こえる。洞窟に打ち寄せる波が「潮音」と響き、康熙帝が自ら題したという「潮音洞」の三字が岩壁に刻まれていた。不肯去観音院の小さな堂に入ると、十一面観音の古い像が静かに座していた。日本の僧が残した像から始まった物語が、今もこの島の空気の中に息づいているように感じられた。竹林の小径を歩くと、葉ずれの音が心地よく、遠くに洛迦山の島影が見える。
普済寺は島の中心に位置する第一大寺である。白華頂の南麓に広がり、寺前の海印池(放生池)には蓮の葉が浮かび、池面に寺の影が映る。池を囲む石橋を渡ると、御碑亭や山門が現れ、鐘の音が聞こえてきた。大円通殿に入ると、高さ八・八メートルの比盧観音が中央に鎮座し、周囲に三十二応身像が並ぶ。殿内は香の煙で薄く霞み、参拝者の祈りの声が低く響く。普済寺は後梁の貞明二年(916年)に創建され、宋の元豊年間に宝陀観音寺として拡充された。歴代の方丈が住した主刹だけに、伽藍の配置は厳正で、五進の殿堂が中軸線上に整然と並ぶ。池のほとりでしばらく座っていると、夏の荷の香りが想像できた。冬の澄んだ空気の中でも、この場所の静けさは変わらない。寺の近くの素斎堂で、簡素な精進料理をいただいた。野菜と豆腐を中心とした温かい食事は、島の日常の一部のように感じられた。
午後は法雨寺へ向かった。白華頂の東側、光熙峰の下にあり、普済寺からバスで二十分ほどである。寺は山の斜面に層をなして建てられ、周囲を古木が覆う。山門をくぐると「天華法雨」の扁額が掲げられ、九龍壁が迎えてくれる。最も印象的だったのは九龍殿である。殿内の藻井には九匹の龍が盤旋し、明代の南京宮殿から移されたという黄瓦の屋根が、陽光を受けて鮮やかだった。法雨寺は明の万暦年間に海潮庵として始まり、康熙帝が寺名と扁額を賜って現在の姿になった。殿の前に立っていると、遠くから聞こえる波の音が「法雨」のように感じられ、宋の文学家王安石が詠んだ「鐘声浪答回」の句が思い浮かんだ。寺の奥の方丈室や僧房も静かに保たれ、巡礼の喧騒から少し離れた場所で、僧侶たちの日常が続いているのが窺えた。九龍壁に触れる参拝者の姿も多く、幸運を願う人々の思いが静かに集まっていた。
仏頂山への登りは、索道を利用した。山麓から山頂までわずか十分ほどで、眼下に島の緑と青い海が広がる。慧済寺は普陀山の最高峰に位置し、「不上仏頂山、不算到普陀山」と言われる。寺の配置は他の禅林と異なり、天王殿の奥に大雄宝殿や大悲殿、蔵経楼が平行して並ぶ。浙東の庭園風の趣があり、山頂からの眺めは絶景だった。東は大海原、西は舟山の島々が霞む。慧済寺は清の乾隆年間に整備され、観音信仰の頂点に位置する。大悲殿には送子観音が祀られ、子を願う人々の姿も見られた。下山は徒歩で石段を下った。千余段の階段を一歩ずつ踏みしめながら、寺の鐘の音が次第に遠ざかっていく。石段の両側には古い木々が並び、時折鳥の鳴き声が響いた。
夕方、千歩沙の海岸に出た。白い砂浜に波が寄せ、遠くに南海観音の姿が小さく見える。島の自然は、仏教の伽藍と切り離せない。紫竹林の竹、潮音洞の洞窟、百歩沙の砂、そして仏頂山の緑が、観音の慈悲を象徴するように調和している。普陀山は面積わずか十二・五平方キロメートルほどの島でありながら、三寺・七十庵・百僧舎の歴史を持ち、今も四十を超える寺院や庵が残る。明の万暦年間に四大名山の一つとして定着した背景には、海上交通の要衝としての位置と、観音信仰の広がりがあった。砂浜で波の音を聞きながら座っていると、島の一日が静かに終わっていくのを感じた。
旅の終わりに、島を離れる船の上で振り返ると、朝見た霧の中の山が、夕陽に照らされて金色に染まっていた。慧鍔が観音像を置いた場所から始まったこの聖地は、今も「不肯去」の精神を保ち、訪れる人々に静かな時間を与えてくれる。四大名山の中で唯一海に浮かぶこの島は、山と海が一体となった独特の風景を持ち、観音菩薩の「海天仏国」としての名にふさわしい。短い滞在だったが、普済寺の池、法雨寺の龍、慧済寺からの眺め、そして南海観音の前で感じた波の音は、しばらく心に残るだろう。次に来るときは、洛迦山まで足を伸ばし、より深い朝聖の時間を過ごしたいと思いながら、船は夕闇の海へ進んでいった。
(中国経済新聞
