52歳のCCTVキャスター・朱迅さんが近況を披露 「命はいつか終わるので果敢にやってみては」

2025/11/19 11:30

52歳のキャスター・朱迅さんが、再び公の場に姿を見せた。秋風の吹く杭州で行われたマラソン大会のフィニッシュ地点で、競走に勝った子供のような笑顔。テレビの画面を彩ったキャスターではなく、死の淵から二度もよみがえり、突っ走りゆく人物なのだ。誰の目にもそう映った。

弁舌巧みな朱さんは弱冠14歳で中国中央テレビ(CCTV)の「われわれの世代」で司会を務め、15歳で「ロック青年」に出演して「国民的少女」となり、17歳の時に1万元余りを抱えて単身日本に渡り、「もがきぬく」経験をした人物であることを知る者は少ない。

運命が与えた最初のレッスン、それは貧しさだった。語学学校の授業料を収めると財布はもう空っぽ。生きるために18階建てのオフィスビルでトイレ掃除をした。一番ひもじかった時は「極貧の倹約生活」を送った。決してたとえでなく、リアルな姿だったのだ。

朱さんは大学時代、東京でNHKの中国語講座番組に応募し、採用された。再びスポットライトを浴びたその時、一番慣れた場所で熱望していた舞台に3年ぶりに立てたことで涙がこぼれそうになった。のちに「Asian View」や「Hey!Hey!Hey!」など有名番組の司会を務め、論文でAを獲得、「在日中国人大全」の中で「在日優秀華人」となった。

朱さんは1999年、病に倒れた母親のため、好調だった日本での仕事に迷わず見切りをつけ、北京に帰った。たが中国のキャスター界はそんな彼女につらくあたった。海外経験を引っ提げてCCTVの「正大総芸」に参加、1位を獲得したが、出演した際にいきなり「かわいいけど空っぽの花瓶だ」などと言われ、そのままステージを下ろされてしまった。日本でちやほやされた名キャスターがCCTVでは電話番やデスクワーク、セリフ作りをし、時に食事の用意もさせられた。

それでも朱さんはめげなかった。カンペが用意される日本とは違いCCTVではアドリブが必要だったことから、毎日古文を覚え暗唱した。方言があったので、ニュース番組で口真似をし発声練習をした。そしてついに下積みを脱却し、「正大総芸」や「週末喜相逢」といった番組を任され、春節の特番にも出演した。

朱さんは泣き言も言わずひたすら訓練を重ねた。アドリブをするために古文を覚え暗唱した。訛りが出ないようにニュース番組を見つつ丁寧に発声練習をした。しゃべりを覚えた彼女はようやく舞台に戻り、「週末喜相逢」の司会を務め、再び春節の特番に出演した。

2003年に王志さんと電撃結婚したが、単純ながら地道に歩み続け、息子が生まれると笑顔が随分と増えた。ところが仕事も家庭も落ち着き始めた矢先の2007年、健康診断で甲状腺がんが発覚し、即手術となった。言葉を商売とするキャスターからすればほぼ致命傷だった。手術で甲状腺の一部を摘出、その後もしばらくは内分泌療法を受ける必要があった。

朱さんはしかし、くじけなかった。2008年にヨガを始め、ストレッチや逆立ちに取り組んで少しずつ身体を回復させ、後に自宅の近くでジョギングを始めた。数百メートルから数キロメートルと徐々に距離を延ばす。今年の杭州マラソン、ナンバーカードをつけて西湖のほとりをスタートし、次々と観光名所を駆け抜け、太陽よりも明るい笑顔でフィニッシュした。

52歳になった朱さんは今、若者よりも忙しい。10月には「チベット文化宣伝大使」 になり、イベント「チベットを見れば一生忘れない」の一員として現地へ向かった。この時の経験を大学で「チベットは心のふるさとだ」と語り、チベット文字を教え、裸麦のクレープを口にした。このイベントはCCTVネットやチベット日報で合わせて2.5億人以上が閲覧し、文化のPRもどうやらうまくいったようである。

朱さんはこの前の4月に行われた福建省の観光イベントで、「月映武夷」の「朱熹」と時を超えた対話をした。上品ないでたちで絶景の中に立ち、「万里茶道」の移り変わりを語り、「観世之眼」から「悟道之心」まで朱子の文化をリアルに生き生きと説明した。インタビューでは「最高でした」と言い、朱子は「心のふるさと」と述べていた。

先ごろ「波乱万丈の人生で一番怖かったことは?」と尋ねられた際、笑顔で「命はいつか終わるから、少し大胆にやってみてはどうか」といつもの口癖を語っていた。

これは決してぬくもり言葉ではない。18階建てビルのトイレからCCTVのスタジオまで、手術台からマラソンコースまで。これまでの朱さんの人生は、人生は果敢に向き合えばまずうまくいく、ということを証明している。

(中国経済新聞)