「哪吒」の監督・楊宇氏は医学部出身、アニメのため6年間も失業生活も

2025/02/12 18:18

映画「哪吒2」の人気上昇とともに、監督を務めた楊宇(Yang Yu)氏の名も知れ渡るようになった。3年間親のすねをかじり、6年間失業生活を送るなど、アニメのために紆余曲折の道のりを歩んだのである。楊氏は元々、華西医科大学薬学部の優等生であって、卒業後は医学の道を進もうとしたが、「アニメをやる」という驚くべき決断を下した。母親は、息子は小さいころから絵を描くのが好きだと知ってはいたが、医学という「安定路線」から夢を追いかける道を選んだことに強い心配感を抱きながらも、結局は応援することにした。

家族唯一の収入源が母親のわずかな退職年金だったという楊氏は、2002年から2005年にかけて典型的な「ニート」生活を送った。1回の食費をすべて10元(約210円)以内に抑え、1日カップ麺だけでしのぐこともしょっちゅうだった。毎日16時間も閉じこもってアニメの腕前に磨きをかけ、短編作品を生み出していった。この3年間で、「もう存在感が消えた」とも見られた上、近所から「ろくでなし」と言われ、親戚から「本業そっちのけ」とあざ笑われた楊氏は、寂しく重圧や孤独に耐えていた。

2008年、楊氏は短編アニメ「打、打个大西瓜」を発表した。反戦をテーマにしたわずか16分間の作品だったが、業界内で注目を集め、海外で30件以上の表彰を受け、観客の評判も上々だった。しかし中国国内ではそううまくはいかず、国内制作のアニメは不人気で、楊氏にオファーの手は伸びなかった。冷酷な資本市場で働き口が見当たらなかったのである。

楊氏は食べていくため、子供向けの教育ビデオのイラストを1枚30元(約630円)で制作したり、徹夜でゲーム会社向けの特撮係をしたりした。医学部出身で専門教育を受けた経験もなかったが、経験を積むため、毎日ディズニーの定番作品をなぞり書きしたノートは20冊分にもなり、「大暴れ天宮」のカットをかき集めて必死で1枚1枚描いた。

2015年、楊氏は「哪吒之魔童降世」の制作を始めようとしたが、配給会社から「哪吒は醜い子供ではなくゆるキャラ系とすること」、「神話IPはもう廃れており、幼い子供向けでないと売れない」などと修正案を出されて、かなりの重圧を受けた。楊氏は、「中国の子供はおりこうさん。ただし、運命に『ノー』と言える心のトーテムがない」という考えを曲げなかった。結局当初の構想通りとし、哪吒を反逆者に仕立て上げて登場させ、中国アニメに対する偏見を打ち破り、中国のアニメ映画に新たな道筋を切り開いたのである。

運命をかけた特撮への挑戦

映画制作にあたり一番の難関だったのは、申公豹が返信する際の毛並みの映り方だった。楊氏はできるだけ見栄えを良くしようと、自らマシンルームに入り、技術スタッフとともに178通りの画像効果をテストし、光の角度を340回も変えてみるなど、ほぼ48時間寝ずに過ごしたこともあった。そしてついに、毛髪1本1本を本物さながらのきめの細かい画像とし、パーフェクトな申公豹が出来上がった。こうしたプロセスは、完璧にこだわる楊氏の執念の表れでもあった。

楊氏は17年間かけて、行動をもって自身を証明し、「ニート」から中国アニメの代表者になっていった。映画「哪吒之魔童降世」で中国アニメが殻を脱し、力を世界にアピールするに至ったのである。何もない状態からスタッフを率いて名作とも言える成果を作り上げた楊氏。その人生経験は、運命の決断を迫られた際、立派な人物は誰かに支えられずに自分で変えられるものと信じる勇気があるものだ、という大切なことを教えてくれる。

「命は神でなく自分のもの」。これは楊氏のモットーであり、運命を変えたいと願う人は必ず心に刻むべきものではないか。これこそ、誰もが哪吒を愛する理由ではないだろうか。

(中国経済新聞)