上海 六月のニューノーマル

2022/06/28 15:25

「核酸(PCR)やった?」六月になって上海市民の間で流行り始めた挨拶である。ロックダウン以前は、「もうご飯食べた?」が耳慣れた挨拶だったが、ロックダウン明けの六月は「核酸やった?」がその座を奪ってしまったらしい。それほどPCR検査は上海市民にとって「日常」の一コマとなった。ロックダウン明けの六月一日には、二千五百万人の上海市民に対して、更に十三日には千四百万人以上を対象とするPCR検査が実施された。全市に臨時設置された検査場(核酸采样工作站)は一万五千に上ったという。

六月一日、私もそのPCR検査の洗礼を受けた。ロックダウン期間中はマンション敷地内で秩序正しく効率的なPCR検査を受けていたが、その日は指定された近隣の場所で受けることになった。自宅マンションから徒歩五分ほどの交差点に着くと、目のくらむような長蛇の列!無論、選択の余地はなく、泣く泣く最後尾に並ぶこと一時間と十五分。検査自体はあっという間で、鼻腔奥ではなく、口腔内を軽く擦るだけなので苦痛はなかった。ただ、帰る道すがら、こんなことを二日に一回やらされるのか、と絶望にも似た心境に突き落とされた。それでも、せっかちな性分からか、もっと空いている場所があるはず、とすぐさま近隣周辺をジョギングで探索し始めたのだが、どこの検査場も長蛇の列で中には百メートルにも達しそうな場所さえあった。

諦めかけていたその翌日、いつもジョギングする公園からの帰り道、馴染みのショッピングモールに立ち寄ると、正面玄関横に検査場があるではないか。しかも十名ほどしか並んでいない。これはラッキーと後先を考えず並んで検査してもらった。その後、飽きもせず範囲を広げて更に探索を続けると、街中にあるいくつもの検査場や公園横に設置された検査場はさほど混んではいなかった。スタッフに尋ねると「時間にもよるけど、いつも空いてるよ」と軽く返されたことさえある。ちなみに市内のどこで検査を受けてもいいので、タイミングさえ合えば、先日味わったあの「排隊(行列)の苦行からは解放される、とずいぶん救われた思いがした。最近では午前中の遅い時間帯で自宅すぐ横の検査場や馴染みの公園横にある検査場でほぼ並ばずに検査を受けることができている。散策中に空いている場所を見つけるや否や検査してもらうこともあり、一日二回の検査もざらだ。私に関しては、六月一日から十四日まで通算十一回も受けている。七月末までは無料検査が継続されるらしいのでありがたい。

さて、なぜここまでPCR検査が必要なのか?ある程度ご存じの向きもあるかと思うが、ここで改めてふれておきたい。上海では、今、三つの「」(コード)が必携である。随申码、核酸码、場所码である。このうち随申码が最重要で緑、黄、赤の三色でリスク表示をするだけでなく、核酸・抗原検査履歴、検査場、核酸码など重要な情報も網羅している。次に核酸码はその名の通り、PCR(核酸)検査を受けるときにスキャンしてもらうもの。そして、最後の場所码がここ最近一気に流通したコードである。上海には公共交通機関をはじめ、ありとあらゆる場所の入り口に「場所码」のQRコードがあり、これをスマホでスキャンすると、氏名、スキャンした日時、緑の陰性証明、その場所の住所、そして核酸検査結果陰性がセットになった随申码の画面が即時に表示される仕組みになっている。例えば地下鉄乗車の際は荷物検査前でこの画面をスタッフに見せる必要があるし、公衆トイレでさえ、どんなに急いでいても場所码をスキャンして画面を係員に提示しなければならない。お店、マンション、公園、病院など、本当に街中ありとあらゆる場所で目にするコードなのだ。そして、この場所码を取得するために「三日(七十二時間、病院では四十八時間)以内の陰性証明」が条件というわけなのである。つまり、今の上海では、PCRの陰性証明無しでは、生活することはもちろんのこと、移動すらできないのである。

六月の上海市民の多くは毎朝起きて「陰性」という二文字を見る度にほっとする。それは「陰性」それ自体に対して、というよりも、七十二時間の行動の自由が保障されたことに対する安堵感ではなかろうか。PCRの「陰性」を求め、ありとあらゆる場所でその証明が要求され、履歴され続ける上海の「ニューノーマル」。マスクとPCRという護身付(御守り)で乗り切っていかねばならないこの「ニューノーマル」から解放されるまでの道のりはまだ長い。

(文・ 松村浩二)


【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。