上海、ロックダウンの初夏の頃

2022/05/22 10:03

ロックダウンも四十四日目を迎えた五月十四日の土曜日。晴れやかな五月晴れとなった。上海での昨日の新規感染者数も千五百人未満(十五日は千三百七十三人)に落ち着いてきた。日本では上海ロックダウンに関して、やや誇張気味の不安と恐怖心があおられているように見受けられる。今回は実際の暮らしの一端をお伝えできれば、と思う。

早朝六時に起床。最初に耳に飛び込んでくるのは鳥の囀りだ。清掃員が落ち葉を掃く音がそれに混ざって聞こえる。見上げると薄曇りの青空が広がっている。庭を見下ろせば既に早朝からジョギングや散歩をする人がいる。中庭にある遊具前で、幼女のためだろうか、若いお父さんが朝露にぬれた滑り台をぬぐっている。傍らで遊具に興じる子供たちが歓声をあげている。平日はリモートによる勤務や授業があるせいで、それほどではないが、週末の午前中になると庭は大勢の人で早くから賑わう。

昨日の朝はいつものように朝九時からPCR検査があった。四月一日のロックダウン後の検査は私に関しては計二十二回に及ぶ。検査は当初より格段にスムーズになり、する方もされる方も慣れたせいかストレスは感じない。検査が終わった住民は部屋へ戻るか、庭を散策するが、平日は会社も学校もリモートがあるせいか、庭に残る人影はまばらだ。検査が終わって部屋に戻り、妻は早速、朝のリモート朝礼と会議にとりかかる。私は午後からの仕事のため、普段、午前中は庭でジョギングするか、部屋で静かに過ごしている。

ところで、ロックダウン中での食料不足問題だが、場所にもよるが、我が小区では特に問題はない。周知のとおり、早い段階からアプリによる住民同士の共同購入システムが構築し機能しているからだ。当初は必需品の水や米、調味料や野菜類などが主であったが、そのうち、お菓子やコーヒー、酒類や清涼飲料水などの嗜好品まで容易に手に入るようになった。それに加えて数回にわたる市政府からの配給もあった。商品の多寡があれば住民同士で物々交換したり、シェアしたりもした。この日は小区外の近隣在住の労働者に対する食糧寄付が募られ、計十九箱が集まったという。ほぼ毎日のように正門に到着する物資を共同購入の団長が受け取り、それを各棟のボランティアの方々が仕分けして各棟、各部屋に運んでくれる。中には朝から晩まで物資の配送に従事する方もおり、頭の下がる思いだ。上階のユダヤ人家族の男の子は注文したコーヒー豆やお菓子をいつも届けてくれる。普段接点のない異国の人との“つながり”が出来たのもロックダウンのさ中ゆえであろう。「小区外」との「分断」が続く一方で、「小区内」では小さな「つながり」が毎日のように新たに生まれている。

午後になると、庭は午前中以上に賑やかになってくる。会社や学校のリモートが終わった大人や子供たちが一斉に自宅から出てくるからだ。庭は思い思いに過ごす姿であふれる。ひたすら回遊魚のようにジョギングする人たち。井戸端会議を心ゆくまで楽しむお母さんたち。自転車やキックボードではしゃぐ子供たち。狭いエリアを工夫してバスケやテニスやバドミントンを楽しむ人たち。芝生ではヨガをやったり、子供たちが鬼ごっこで走り回ったりと、さながら日曜日の公園のような風景が連日続く。とりわけ親子で遊びに興じる姿は微笑ましい。

夕方ともなれば子供たちの歓声が一段と高くなる。元気な子供たちの声を聞きながら、茜色に染まりゆく美しい黄昏時に妻の手料理に舌鼓を打つ。ロックダウン期間中は野菜の摂取量が普段より増え、酒量も減ったお父さんたちが多いようだ。両親と共に過ごす夕餉の時間も子供たちにとっては、さぞかし癒しのひと時になっていることだろう。このようにして、ロックダウンのさ中にありながらも、多くの“つながり”を作りながら、そして、家族の“絆”を深めながら健康で幸せな暮らしができている。「災い転じて福となす」とはまさにこのことだ。

もう少しで二か月に迫ろうとする上海のロックダウン。移動の自由はないけれど、よりよく生きようとする「心の自由」までは失いたくないものだ。「移動の自由」が上海に戻る日もそう遠くはないだろう。

(图・文 松村浩二 )


【筆者】松村浩二、福岡県出身、大阪大学大学院で思想史を学ぶ。上海在住24年目を迎える日本人お婿さん。